渡 辺 武 彦 建 築 設 計 事 務 所 
Takehiko  Watanabe  Architect  & Associates
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               福津市まちづくりグランドデザイン
                                             についての提案 
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5.中心拠点(福間駅周辺)の再開発構想

駅周辺の交通網の現状は、福間駅にJR鹿児島本線が平行して国道3号線(福岡市内⇔北九州市)そして県道.玄海.田島.

福間線、南側に県道町河原 赤間線(西郷川にそって) 海岸に沿って国道495号線が集中している。

平成20年3月に発表された福津市都市計画マスタープランで唯一実行されたのが、福間駅のロータリーを含めた開発

(東側、西側とも)そして古賀市との境界と国道3号線の角附近に大型スーパーが建設されている。

さらに駅周辺に高層マンションが建ち並んでいる。これはどこでも駅前再開発で見られるパターンであるのだが、

しかしこれで開発されたと言えるのだろうか。

  何故こうなったのか、多くの疑問が残る。福間駅周辺は全述した通り、福津市の玄関であり、顔とも言える。

 人口が6万3,000人 観光客が年間500万人 以上訪れる。
 
  福間駅は住民の通勤者が1日に1万3,000人が利用、観光客が約1割の50万人(1日1万4,000人)が利用している。

 もちろん観光客は、1月、6月など集中しておとずれているが、平均すると 2万7,000人/1日 利用する駅である。

 2万7,000人/1日 利用する駅である。

観光客数は平成22年のデーターであるので、現在はもっと増えている事だろう。

 500万人の80% 400万人が県内から訪れ、その90%が車で訪れる。

そして 2万7,000人/年間 あまりが宿泊者で、その他は全て日帰りであると、データーが示している。

この現状をどうとらえるかが観光地福津、ベッドタウン福津としてのグランドデザインにも関係してくる。
福間駅の現状では、観光客を迎える形態となっていない。      

又ロータリーにしても車の乗降客の溜まれる場所がない。屋根付きの場所もない。

猛暑の時、雨天の時など、初めて訪れる観光客に誇れる場所になっているだろうか。

又 西側商店街との関係性もロータリーや道路で遮断し、昔の賑わいをとりもどしたり、
将来に渡るビジョンがまるで感じられない。

東側の新たな商業地域の開発は人々が寄る場とはなっていない。

周辺に人の溜まりがない、溜まらせる場所がない。
そして大型スーパーが離れた場所に出来ているが、何故あの場所なのか、頭を傾げる。
勝浦地域から最も離れた場所である。
 古賀市に一番近く、古賀市の市民は歓迎していると思う。既に駅周辺の将来が見えるような気がする。
前述のように市民や観光客が集合する場所であり、現状分析がとても大切であろう。 

自転車のまちにしたいという提案は思い付きではなく、既に観光客の90%が車で訪れているという事を
重視しなければならない。
 さらに福津市として今後 観光客を増やすための政策も打ち出さねばならない。

必然的に観光客は増加する。道路渋滞が起こる。駐車場の問題や事故も増える。
 そして地球温暖化の要因ともなっているCO2がこのまちで増加する。
 その対策として中心拠点である福間駅周辺に、総合大型駐車場の建設をし、事情のある人以外はなるべく
レンタサイクル(アシスト車)の利用で、観光を促す試みが必要。

 又 雨天時など福津市営バス及び、小型観光バス、観光タクシーの利用も並行して行う。

 そして日帰り客が、宿泊を希望するような観光地として生まれ変わらねばならないだろう。
 自転車のまちについては、別項でも説明している。

 駅前再開発は、どこでも同じようなパターンになっている。

 駅は乗降客の通過点であってはいけない。何万人と利用する駅であり、人が集まる場所なのだ。
 その人々は通勤者であろうが、観光客であろうが、通過点にしてはいけない。

 たまりが出来てアクティビティが生まれる場所にしなければならない。

 大都市の駅、例えば博多駅、広島駅の再開発が最近された。
 駅の裏と表がなく、線路を挟んで一体型の駅となっている。駅前の旧商店街は、関係性を持たせている。
 大都市だから出来たのではなく、駅とは本来そうでなければならなかったのだと思う。

 駅の最近のスタイルは、プラットホームから2階へ必ずあがり、そこに改札口がある。

 2階が重要なフロアーになっている事に注目しなければならない。(博多駅は逆だが )

 そのフロアーは線路を挟んで通路ではなく、商店街やアクティビティを生み出す場所であるべきだ。
 それを生み出し実現した博多駅、広島駅は、常に人だまりがある。

 そして多くの特徴的な店舗、喫茶、レストラン、その他の飲食店があり、アクティビティを生み出している。

 福間駅のスタイルは、大型駅と同様にという訳ではなく、2階のフロアーの使い方、
東側と西側を一体化するそのフロアーの内容については、多くのプランが浮かぶ。

西側と東側の商店街の用途は違うが、住民や観光客の立寄る選択技が増える。
 西側は観光客のための施設が集中、東側は地元の人々が利用する大型スーパーや商店街が思い浮かぶ。

 2階のフロアーはとても重要なフロアーなのだ
 又 現在は500万人/年間 の観光客が訪れていても、日帰りの人々が90%もあり、
県内の観光客が圧倒的に多いということは、宿泊施設がそれほど必要でなかったと言えるのだろうか。 
 津屋崎にあった国民宿舎つやざきや、福岡厚生年金スポーツセンターなど団体をうけいれられる宿泊施設が
いつの間にか閉鎖された。
 需要がなかったからなのだろうが、それは何故なのか。
 そして閉鎖されないような福津市としての努力があったのだろうか。
津屋崎や福間のこれらの施設のあった地域の観光施設に何の変化もみられない。努力がみられない。
 観光地は小人数の観光客だけではない。

 当然 修学旅行や団体客は必ずある。またなければ、観光地として発展がない。

 問題はその観光地にそれだけの魅力のある場所があるのか、又 宿泊するだけの価値があるのか が問われている。

 現在の福津市内の先人達が残してくれた観光地に魅力を与える努力のあとはみられないし
 それすら気付いてないのが、現状ではないだろうか。

 福間駅前商店街には、団体客を受入れるホテル、旅館は顔としてもなくてはならない。

 それにともない歓楽街その他の飲食店も自然発生的に生まれる。

観光地としての魅力づくりを全体的に見直すべきではないだろうか

6.防災のまちとしての交通網道路計画 (国道3号線・JRに結ぶ)構想

  道路は交通網としてあるだけではなく、災害時の避難に使われ、配置計画はまちの成長にさえ影響する。
  又交通路両側の歩道は、単なる利便性で利用するのではなく、アクティビティを生み出すスペースともなる。

 (図C)で示す南北へ走る幹線道路(県道玄海、田島、福間線)は、国道3号線から勝浦まで一直線に伸びる。

  この道路は観光では、宮地嶽神社、新原奴山古墳、あんずの里へとつながる。

  この両側の歩道スペースを歩いて楽しめる空間づくりができないか、多くのプランが可能――四季折々の花回廊、
福津市に合う木立回廊、ポイント的に休憩所や屋台。 

   自転車道としても道路に並行に走っているので歩行者と共にたまりが出来る。
   宮地嶽神社前は屋根付回廊・喫茶・レストラン・売店 その他のアンテナショップ等賑わいが計画出来る。
  このようにその場その場で単なる交通路ではなく、歩いて楽しめる又自転車道としても楽しめる側道をもっと考える
 べきではないだろうか。
 
  勝浦までの幹線道路だけでも空中をロープウェイ的な自転車吊下げ自走路等観光的にも面白い。
  昔の映画E.Tを思い浮かべる。
 
 自転車がロープで吊るされ、足でこいだり、アシスト自転車などは、動力で自走出来るシステムも考えられる。
   福津市は西山断層帯があり、避難路としてこの幹線道路は、国道3号線へつながっている。
  勝浦地区は、勝浦宗像線(県道)を避難道として考えている。

自転車のまちとして自転車道路網があり、住民と観光客との出会いが生まれ、観光地福津の目玉となるかも知れない。

又 オランダのグローニンゲン(自転車のまち)と姉妹縁組をし、お互いの交流を深めるなどの計画も可能ではない
だろうか。ニュージーランドでは個人住宅の庭が観光スポットとなっている。

幹線道路両側の住居地域の住宅の庭を歩道から楽しめるような空間にしたり、ドイツのロマンティック街道のように両側
の建物を見せる建築として価値観を生み出し、観光化するなど多くの計画が考えられる。

 7.観光地福津の見直しと再発掘 構想 

  福津市の観光地は昔からの状況とほとんど手つかずの状態が続いて今日に至っているように思う。
 そこには何をすれば良いのか、誰も発案しない、わからない。

  福津市観光基本計画(平成22年3月)の中で「福津市は自然環境への評価は高いが、
市を象徴的にPRするものがない。 観光資源として、歴史資源が豊富なことから古墳群を公園にする構想がある。
 点で終わっている観光資源を面や線で売るため、市内外の観光施設が連携し、
楽しみ方を紹介する必要性が指摘されている」とある。

 新原奴山古墳は世界遺産となり、宮地嶽神社は落日の名所として、カメラマンが多く押し寄せる事で、有名になっている。
 指摘されている通りであるが、平成30年の今日、何か変化が見られたのだろうか?

  福津市は観光地それぞれについて、観光客を増加させるための抜本的な対策や実施計画等が過去どれくらい
あったのだろう。
 例えば 宮司嶽神社は日本でも有名な神社で、福津市を訪れる観光客500万人の中で、2/3くらいを占めるのではないだろうか。
 しかし神社前の商店街や前面道路沿い左右の何十年も変化のない数件の商店街、又 神社から海岸線へ向けての参道など、
大宰府天満宮の商店街との比較をしてみても分かるが、本当にこれが福津市の顔と言える神社の表玄関なのか、
その貧相さは際立っている。参道も神事の時以外、どこにでも有る普通の道路でしかない。

   世界遺産になった新原奴山古墳群は、公園と併用させる計画はあったようだが‥。

  津屋崎千軒にいたっては、現状維持をしながら、観光客を呼ぼうとしている。

  福間 津屋崎海岸の店舗やその他の施設も海や沿岸に何等の工夫や計画のあとが見られない。
 そして風光明媚な海岸と言いながら、松林の保全はしているものの、後は成り行き任せになっている。

挙げたらきりがないが、すべてがシーズンや行事以外は、眠っているように思える。

  福津市政の無策がこうしているのか?お金がないからか?住民との折り合いがうまくいかないからか?
 それぞれ抱えている問題はあろうが、しかし観光地として最低やらなければ、先がないことがあると思う。
 福津市観光基本計画 (平成22年3月) で地域資源が列挙されているが、未だに何等の計画も実施されていない。

  今回提案したそれぞれの項目は、眠っている観光地を蘇らせる案であり、今後の対策に大きな影響を与えるだろう。
 自転車のまち、海洋農畜産大学、海洋牧場、南北への幹線道路、学園を中心としたまちづくり、など
奇想天外な発想と思われるかも知れないが、全て可能性を持っている。
 これらは、観光地福津を活性化させる要因になり得るのではないか。

 又 観光客を迎える福間駅周辺は新な再開発が必要と思える。

       
 
      
                                                                    
         

      

 

まとめ

福津市のグランドデザイン構想について、

私が津屋崎を初めて訪れたのは、30年以上も前である。福岡県で初めて住宅の設計監理を依頼され、津屋崎に建設した
ことから今日迄の関係が出来た。

その時の津屋崎の印象は、福間から恋の浦に至る海岸線が印象的だった。風光明媚で、多くの自然が残っていた。
 その後 海岸線に点在する建物が増え、国道495号線をはさんだ地域に高層マンションやホテルが無造作に建った。

そして宮地嶽神社の参道の海の出口に、宗教建築が建ってしまった。

国定公園とは、何をもって国定公園というのか?

沿岸から海の方を見ることだけなのか‥。海の方からの景観は無視して良いのだろうか。

福間漁港から津屋崎方面の海岸線を観ると、大峰山の前方の施設が気になったが、大峰山のすそから福間漁港方面を
観ると、海岸線の住宅や店舗等が全く統一感なく見えた。

30年前と比べると、年々変化しているものの、良くなっているとは思えない。

観光地として先人達が残してくれたものを、何故守りきれないのだろう。

一方都市計画された用途地域の中で、30年前は田畑であったところが、住居地域に指定され、埋められて次々と家が
建っていく。福間駅の東側は一面田畑で、後方が山や林でとても良い風景であった。
 しかし駅前開発で、田畑は埋め尽くされ、今日のように変貌した。

そして福間駅周辺に高層マンションが立ち並び、風景が一変している。
 これは「観光地としての福津市が、これで良いのだろうか」と疑問を持つ。

初めて訪れる観光客が、福津市の玄関口の駅周辺や観光地までの道すがら、目に入ってくる無作為な住宅群や計画性の
ない道路など、とても自慢出来るまちなみとは言えないが、どう思うのだろうか? 
 住宅についてもハウスメーカー主導で建てられているが、緑化されている住宅が少なく、駅周辺になると地価が高いの
で、小さく敷地がきざまれ、法に触れない範囲で建ぺい率、容積率、いっぱいで建てられた住宅を目にする。

緑地がない、そして狭い敷地がカーポートと共にコンクリートでうめられている。

住宅は子育ての根元的な器なのだが、ここで生まれ育つ子供達は自然に触れることもなく、土を踏むこともなく育つ。
 利便性を追求した結果、駅周辺の高層化されたマンションが立ち並ぶが、そのマンションの中で子供達が生まれ育つ。
 それが当たり前のようになっている。しかし子育てに欠かせない自然と対話する場がない。

古来より伝わる格言「三つ子の魂百まで」をネットで調べてみると、西洋でも

The child is father of the man 直訳すると、

「子供は大人(人類)の父である」という意味で、同じ意味の諺が語りつがれている。

3歳頃までに受けた教育によって形成された性質・性格は100歳になっても根底は変わらないと言われていることや
 その他多くの意味が解説されている。
               

それは、家庭環境や自然との対話がいかに大切かを示唆しているのだが、実情は育児の中で、幼児教育をするにも共働き
をするため、保育園・幼稚園に預けなければならなかったり、預けるにも待機児童であったり現代社会の縮図が充分な幼児

教育をはばんでいる。

福津市の各地域に於けるまちづくり構想は、それ等の問題も解決できる提案で、図Aが示している。
 又 児童生徒達の教育者について、以前から大きな疑問を持っていた。

大学の教育過程を経て教職に就く卒業生が社会人としての経験もないのに、いきなり大切な時期の子供達を教える立場に
立つのだが、誰も異をとなえない。

政府は現在働き方改革を実施しようとしている。
小中学校の教職員の平均就業時間が、11時間/日 これは時間を短くすれば良いと言うのではなくその中に潜んでいる
原因をつきとめねばならないだろう。

福津市のコンパクトまちづくりでの教育者については、若い先生には必ず補助教員として住民の中から高齢者、経験者、
退職者など人生の達人達が補佐役を務める。

報酬は支払う。又 移動教室時も、補佐していただくなど補助教員としての役割は教育改革の一つとなろう。

私は教育について日頃、移動教室論を展開し、研究テーマとしてきた。

福津市のまちづくりの中で、それを文章の中に入れている。

自然の中での学校教育や年齢に合せた移動教室は、年を重ねる毎に市内、県内、県外へと子供達が動き、その場所を五感
で感じ、色々な事を習得する。

又高学年になると、アジアから世界中の国々へ移動教室する。
 私は大学の講師をしていた時期に、建築を学ぶためヨーロッパの多くの国々を巡り、その国々では貪欲になるべく歩いて
見聞した。アジアも何カ国か回った。

そこで一番感じたことは、小さい時からその時まで、絵本や教科書、そして専門誌などで写真や文章で、学んだものと、
現場で目にし、そこで感じたものとの大きな違いに驚き、感動したのを今でも忘れない。

飛行機で降り立つ空港や列車で移動する国々の駅などで、感じる臭いや空気そしてその国々の人々の違いなど、日本では
絶対に感じられないものだった。

IT社会でコンピューターやスマホがいかにそこの国の情報を伝えてくれようとも、そこの国の本当に知ろうと思う事は
わからない。それが実感だった。

現在も海外への留学が出来るのは、選ばれた人そしてお金のある人等に限られている。

それはとても不公平だと誰でも思うのではないだろうか。

移動教室は、全ての子供達や学生達が世界中、平等に自由に行き来できるシステムを国々がつくることだ。
 それはそこの国の多くを知り、友人が沢山出来ることにつながる。

義務教育の期間だけでも自由に移動教室出来ることが望ましい。

地球サミットとは、子供達のために世界中の閣僚が集まって将来を話し合う場が主体となるべきだと思う。

子供達が成長し、やがて国際的な場に於いて自分が決めた道で、国際人として話合う事になり、それは世界の平和へと
繋がっていくのではないだろうか。

 福津市は自然や観光の資源が多く残っている。観光資源も先人達が残してくれている。

 「国づくり、まちづくりは人づくりから」の基本を忘れないでまちづくりに取り組むべきだと思う。

 私が示した福津市のグランドデザインの提案は、多くの関係者からは、絵空事としか受け止めないかも知れない。
 それは全ての計画を実行に移すためには、お金と市民が納得するプランでなければならない。

 福津市の年間の予算は、約400億円くらいだと思うが、ここで示されている内容を実現するためには、それぞれ巨額
の費用が必要だろう。

 グランドデザインは、中長期で考える事でもあるのだが、数十年、あるいはもっと長いスパンで計画する案もあるだろう。

 福津市は昨年10月都市計画マスタープラン策定の市民との意見交換会で、都市整備の課題()と都市整備の基本方針
(5本の柱)と主要な施策()として示した。

 私が示したグランドデザインとの違いは明らかであり、観点が違う。

 市民にとってどちらがわかり易いか理解し易いか、比べてみる事も必要だと思う。

 少なくとも当方が示している提案は、その姿が浮かぶのではないだろうか。

 まちづくりとは、夢が語れる案でなければないだろう。
 予算は官民が本気になって実現に立ち向かうエネルギーによって、生まれるものではないだろうか。

 大阪の橋下弁護士が大阪市 大阪府を改革した例もある。

 夢が語れないような無策では、何も生まれない。

                 

        平成30年 2月


                                                      渡辺武彦建築設計事務所
                                                          建築家  渡辺武彦


           

あとがき

 福津市は合併して13年になった。福間、津屋崎は地名として県内外で多くの人に知られているが、
福津市は県内でも知らない人がいる。それくらいメジャーではない。

 それをまず自覚しなければならない。

 その福津市が、平成20年3月にまちづくり構想図やまちづくりまちづくりについての関連プランを発表してきた。
 ネットでいろいろ紹介されている。

しかし福津市の全体構想(グランドデザイン)が、探してもどこにもなかった。

本文にも触れているが、上記それぞれの項目を読んでみても、何のために何を目的にマスタープランがたてられている
のか全体像が浮かんでこなかった。

それはグランドデザインがないということではないだろうか。

マスタープランとは、基本計画のことで、グランドデザイン(全体構想)なくしてマスタープランはあり得ない。
 物事が進んでいく手順を示してみると、

グランドデザイン(全体構想)→ マスタープラン(基本計画) → ディテールプラン(詳細計画)→ アクション(実行)
という手順があると思うが、それがないのは何故だろう。

昨年意見交換会で出された都市計画マスタープラン策定(案)や、最近出された
「市政報告(平成29年度)、市政運営(平成30年度)について」の中で示された文章の中でも残念ながら、平成20年
3月のマスタープランと同様に反省することもなく、グランドデザインは示されていない。

 都市計画とは、10年という短期間で完成する事などあり得ない。

とすると、当然50年~100年先の長期的ビジョンとグランドデザインが必要な事は、専門家だったら誰でもわかるは
ずだが、何故同じ事を繰り返そうとしているのだろう。

そこで、例えば 私が本文4ページで、7項目の提案(グランドデザイン)を示しているが、映像化や模型化出来るので、
福津市の姿が市民の一人一人にわかり易く説明することが出来る。そしてマスタープランへと移行する。

又 上記市政報告、市政運営で示された4項目が、もし当方が提案したようなグランドデザインが示されていたならば、
それぞれがわかり易くなっただろう。

私が示したグランドデザインは、全てに於いて福津市の自立化を示し、雇用を生み出すための方策でもある。

福津市に住んでいる子供達が成長して18才以上の若者になると、現在どうなっているのかと言えば、大学生か働く場所
がないので、市外・県外へと出て行っている。

子供達を福津市民として税金投入して育てても、市民として還元しようとしても働く場所がないのが現状ではないだろうか

私が提案した本文4ページ1.海洋 農畜産大学を津屋崎に開設 は単に大学を誘致するだけではなく、同時に 福間~勝浦に
至る海に海洋牧場計画と勝浦、西郷地区に農畜産場の計画が、卒業生の雇用に結びつき、地域の活性化と福津市の将来像へと
つながっていく。
 一般的に地方の公立、私立の大学は、その地域のニーズに答えていないと言われているが、ここでは実践家を生み出す大学
と位置づけ、働く場を提供し、地元への還元を第一に考えている。大学誘致については、少子化が加速度的に進み、大学の生
き残り競争が始まっている状況があり、しっかりした設置根拠が必修となるが、ここでは可能だと思う。

海洋牧場・農畜産業については、将来に渡り日本の食糧自給率を高めるためでもあり、福津市民の地産地消を目的とした
大きなプロジェクトである。

第4次産業革命にも即した将来への期待もかかっている。それは海洋牧場一つ上げても、港湾整備、船舶、漁業等に関する
..小規模の企業が関係し、農畜産業にしても安定供給するため、天候に影響を受けない新たな在り方を追求するための
関係企業が必要となる。

そこに雇用が生まれる。AI、IOTは欠かせない。

さらに海洋牧場は、観光資源として関連企業も呼び込む。

そして農畜産業も今後、観光資源として色々なアイディアを生み出す。

福津市の基幹産業として位置付けた農畜産、漁業は、多くの若者を呼び込むことだろう。

そして海洋・農畜産大学が設置されるだけででも、津屋崎千軒は一変し、福津市の夢のある将来像が見えてくる。

本文4ページの提案3.学校を中心(農畜産場を持つ)とした自立、循環型のコンパクトまちづくりは、
「まちづくりは人づくりから」を具現化した提案であり、保育園.幼稚園児.小中学生の数から、まちの大きさが決って
くる新たな手法である。

福津市は現在  人口約63,000人(26,200世帯)が住んでいる。
その市民が当方提案の五つの拠点で、それぞれどれくらいの割合で居住しているか調査し、将来的に福津市が抱える人口
密度を想定し、五つの拠点にどのように配分し、福津市全体が活性化するかが想定出来る。
 循環型のコンパクトなまちづくりは、

 それぞれのまちが円滑に機能する規模により、動き出す。

 今や「ふるさと」という言葉や概念が、死語のようになっている。
 童謡でも表現されていた自然の風景が消え、小学校唱歌もなくなった。 

 我々は地球人であることや自然の中の一員であることを、いつの間にか忘れていないだいだろうか?

 話は飛ぶかもしれないが、イギリスの理論物理学者でもあるスティーブン・ホーキング博士が
「人類の残り時間はあと100年」2600年までに人類は滅亡すると警告している。

 ・核保有国となった北朝鮮問題 ・人口知能(AI)の開発

 ・キラー・ロボットの研究開発などが進んでいくと、結果としてそうなると!!

 全ては人間が成せる業で、住めない地球にしようとしている。

 誰がストップをかけるのだろうか。

 既にアラブ首長国連邦のドバイやアブダビは火星移住の実験都市造りをスタートさせている。博士の警告は、今日の世界
の動きや、力の均衡で成り立っている国家間の関係などとても危うい状況に警鐘を鳴らしている。

 人間は愚かな動物と言ってしまえばそれまでだが、私はもっと信じたい。

 私が移動教室論を持ち出すのは、国連に加盟している国だけでも190か国以上あるが、それぞれの首脳や閣僚達は、
 それぞれの国々をどれくらい知っているのか、何カ国その地に行ってその国の事を勉強したか、その国の事情を理解して
いるのか、宗教についても理解できているのか。
 全ては「その国を知る」ことから、お互いのコミュニケーションが成り立つ。

 それは、そこの国に行かなければ、本当の国の事情はわからない。

 福津市でのコンパクトなまちづくりは、子供達が生まれ育つ「ふるさと」づくりでもあり、移動教室はそのふるさとを知
り、市内県内、県外、海外へと年齢を重ねるに合わせて行動範囲を広げて体験学習をする。

 日本では、修学旅行で学びに行くと言うより息抜きの旅行感が強く、小・中・高校で1回づつが慣例である。

しかし今のところ、日本中を年中移動し、体験学習をする学校などどこにもない。

今の文部科学省の教育方針にはない。自国の事を知らず、海外の人々に説明出来まい。

海外からの旅行者が4,000万人を超えている今、日本人より日本の事を知っている外国人がいても不思議ではない。

日本人であれば、少なくとも高校生までには、日本国中を体験学習出来るのではないだろうか。
 結果として国内の政治について、良い方向性をもたらす可能性があり、その他多くの分野でも問題を抱えているが、
そこにも変化が生まれる事につながるだろう。

世界中の国々、先進国、途上国を問わず、その国の親達は自分の子供の行く末を案じ、心配している。
 それは世界中共通している。

 だからこそ 国連は、世界の子供達の教育について共通項を出し合って、小さい時から交流を深めていくシステムづくりを
確立しなければならない。それは国を超えて友人を多く持つ事が大きな影響を及ぼす。
 国際人として国内外に関与していく事になるからだ。
 世界の国々の首脳や閣僚達も、子供達の教育について、話し合うことに当然反対者はいないと思う。問題は各国々が、
共通の話題として真剣に取りくむことだ。
 そしてそのモデルを日本国や国内の福津市で、やる気があれば、出来ない事はない。

それは、義務教育期間、高校、大学合せて22~23年それから社会人、国際人として経験を積む年数を考えても、40~
50年で世界中の国々の多くのシステムに影響を及ぼすだろう。
 ホーキング博士が危惧している件を回避する唯一の方策ではないかと思っている。

私は福津市の将来は、世界の将来、そして地球の将来へとつながっていくことだと思っている。
 私達は、目先の事だけにとらわれず、50年先100年先の世界観を持つことが必要なのではないだろうか。