渡 辺 武 彦 建 築 設 計 事 務 所 Takehiko Watanabe Architect & Associates |
〒733-0821 広島市西区庚午北2丁目1-4山木グリーンビル602 TEL:082-273-9581 FAX:082-273-8528 E-maile : t.watanabe@feel.ocn.ne.jp |
top page profile works concept access contact blog |
福津市まちづくりグランドデザイン についての提案 ☆プロジェクトに戻る |
はじめに 国づくりは「人づくりから」まちづくりも「人づくりから」という概念は、一般的に日本では昔から言われてきたように思う。 国際都市として福岡市が近くにあることは、福津市が国際化する事も可能になる。 地方から国へ、国から国際化へのアプローチづくりが、福津市の「まちづくり」には欠かせない。 グランドデザイン(全体構想)を考える時、常に自立化は他との関係性や国際化そして地球の中の「一つのまち」としての意識が必要だと思う。 「まちづくり」は、抽象的な言葉や文章ではなく、絵に画けたり、想像出来るものでなければならない。絵でも平面的ではなく立体的で空間的なものだ。 市民が50年先、100年先のまちの姿が、頭の中に想像される事により、具体的な活動方針が決まっていき、実となっていくのではないだろうか。 福津市は、福間と津屋崎が合併したその後「福津市都市計画マスタープラン」 「2008→2017」として平成20年3月に発表した。その10年後の結果が今日の福津市です。 市長が3代変わり、今年平成30年度の新たな「福津市都市計画マスタープラン」 「2018→2027」の施策づくりが進んでいる。 そんな中 平成29年10月14日(土)13:30より、福津市立図書館 研修室において、都市計画マスタープラン策定に係る意見交換会と題して福津市都市整備部 都市管理課が主催し、市民が数十人の参加で行われた。 その日に配されたレジメの中で、都市整備の課題(案)6項目 都市整備の基本方針「5本の柱」と主要な施策(案)が提出され意見交換が行われたが、一言で言えば、まったくかみ合っていない的外れな場になったように思えた。又 ① これからの都市計画マスタープランを策定しようとしているのに何故 平成20年3月に計画され、実施されたマスタープランについての結果報告や説明がなく、反省もなく、いきなり本題に入ったことに違和感を覚えた。 ② レジメでの内容は平成20年3月の計画内容とほとんど変わっていないように思えた。 ③ 本計画に携わったコンサルト会社と担当者が平成20年3月時と同じであり、司会者もコンサルト会社の担当者であったことに疑問を持った。 ④ 課題が発案され、その施策が後に書かれているが、具体的な例や形は示されず、まとめ方が平成20年3月の時と同様で、福津市の将来像が全く見えてこなかった。それは
福津市は平成20年3月に発表したマスタープランでは 第1章 まちの現状とまちづくりの課題 第2章 都市整備の方針 第3章 全体構想 第4章 地域別構想 第5章 計画の推進に向けて の中でそれぞれが説明されている。第3章 全体構想を見てみると、●将来都市像として 「歴史と明日」「自然と賑わい」「地域と拠点」ふたつが織りなすまちづくり ●都市整備の基本方針 ●将来都市構造 として全体構想の体系を説明しているが、これで全体の都市像が浮かんでくるだろうか? 将来の都市像とは、市民にもわかるように絵で画けるものでなくてはならないと思う。 第1章から5章までそれぞれの内容は説明されているものの、今回のマスタープラン策定に係る市民との意見交換会で示されたレジメの内容と同様に福津市が将来を見据えてまちをどのように変えていこうとしているのかまったく伝わらないし、全ての表現が抽象的で、何ひとつ形が見えてこなかった。 福津市の人口は 平成17年 人口:55,677人 世帯数:19,492世帯(2.80人/世帯) 高齢者人口:22% 全国平均を上回って早いペースで、高齢化が進んでいた。 平成29年 人口:62,706人 世帯数:26,162世帯(2.40人/世帯) と、人口は増加しているが、世帯当たりの家族数は減少している。福津市は歴史ある観光地そして福岡市及び北九州市方面のベッドタウンとしての特性を持っている。人口の増加は福津市の政策ではなく、福岡市が国際都市として発展が著しくそれと共に人口増加が起こり、その影響であると言えよう。 さて福津市のまちづくりを考える時に、平成20年3月の福津市都市計画マスタープランを見直して再検討に関する項目を抜粋してみると、第1章2項 社会的経済的特性の中で、 又観光については、平成17年度の来訪者 約525万人で、横ばい傾向、観光消費額は減少しているとある。観光目的は、宮地嶽神社などの社寺・文化財・史跡参拝、見学・海洋レジャーが中心と記述されている。 又農漁業については、農家数:738戸 農業就業人口:1,092人 経営耕地面積:1.005haで、共に減少傾向 漁家戸数も減少してきていると。 しかしこれ等の分析をしているにもかかわらず、マスタープランの中で、第1次産業そして観光業に対する対策が何も記されていないのは何故か。事業所を増やし、雇用促進が福津市の財政を豊かにする。 だが、工業、商業についても今後の見通しは何も示されていないのはなぜだろうか。 ただし平成29年現在 福間駅及び周辺の再開発が何故あのようになっているのか、大型スーパーの誘致はされているが、何故古賀市に近い国道3号線に沿ったあの位置でなければならなかったのかわからない。 現在 地方のまちの現状は、少子高齢化と若者が次々に大都市へ流出している。 一方大都市でも問題を抱え、地方分権も言われるようになってきた。 それぞれ地方は、生き残りをかけて対策を練らなければならないのは、間違いのない事実である。福津市は前述のような二つの特性があり、それを生かすまちづくりを提案することが今後に通じる。まちづくりは小さな宇宙をつくることでもある。 世界では、地球温暖化(CO2によるオゾン層の破壊に依る)人口爆発、食糧危機、国家間では、アフリカ・中東や北朝鮮問題をかかえて不穏な空気が漂っている。テロ事件も形が変化してきた。
全ては人類が起こした問題で、過去 国と国とが戦争を繰り返してきた。 今だに国家間の対立はなくならない。今や国の発言力は軍事力の差により、国際間の物事が決まっている。 それが当たり前のように‥。 自由、平等、平和とは、国と国との格差や格差社会の中で生まれることはない。 地方のまちづくりとは、関係ないように思えるが、そこに問題が潜んでいるように思う。 国づくりは人づくりから、まちづくりも人づくりからだと言われてきた。 人づくりは教育から始まり、教育の中に知育、食育、体育がなければならない。 又小子高齢化社会を生んだのは、教育に起因すると言えるのではないだろうか。 福津市のまちづくりの観点をそれらに置くことを忘れてはならない。 又まちづくりは、自立を絶対条件としなければならないだろう。 福津市は、観光のまち、ベッドタウンとしてのまち 二つの特性があり、国際都市福岡市からJRで35分、本州の玄関口まで45分くらいで結ぶ地理的状況があり、国際化の波の中で、他市に比べてとても優位な場所にあると言えるだろう。 福津市の観光客は平成17年で、525万人 その後も500万人を割ったことがない。 ちなみに、日本三景の一つである広島県の宮島でさえ平成26年データーでは、年間 456万人となっている。いかに福津市に訪れる観光客が多いかがわかる。 先人達が残してくれたかけがえのない多くの財産を、住民達が有効に活用し、これから先のまちづくりに大いに生かしていかなければならない。
又 まちを円滑に運営していくためには、財政を潤す産業があり、雇用がなければならない。そして何と言っても人材育成が必修であろう。
市民が積極的に参画できる態勢づくりが課題となる。 福津市は前述の通り自立のまちづくり条件としてのポテンシャルはとても高いと考えられる。そこで、福津市の長期的なグランドデザインを考えてみよう。 まちづくりに欠かせないのは、他への発信力がなければならない。人々が興味を持てば集まってくる。それは日本だけにとどまらず、世界に向けても同様である。 そこで福津市のグランドデザインについて提案してみよう。別紙(図C)に全体の配置計画をしてみた。 (1) 海洋・農畜産大学を津屋崎に開設 構想 福間・津屋崎・勝浦に海洋牧場計画 勝浦地区に農畜産実験試験場 等の分校 (2) 自転車のまち福津 構想 (全市を自転車道路網づくり、勝浦に自転車競技場建設) (3) 学校を中心(農畜産場を持つ)とした自立、循環型のコンパクトまちづくり構想 (4) 五つの拠点を持つまちづくり 構想 ① 福間駅周辺 中心拠点 ② 東福間駅周辺を地域拠点 ③ 西郷地区周辺を地域拠点 ④ 津屋崎周辺を地域拠点 ⑤ 勝浦地区周辺を地域拠点 (別紙地図表示参照) (5) 中心拠点(福間駅及び周辺)の再開発 構想 福津市の玄関口としての福間駅 福間駅南側、西側の開発 (6) 防災のまちとしての交通網道路計画 構想 中心拠点(福間駅周辺)と4つの地域拠点を結ぶ主要道路 道路の意義 (7) 観光地福津の見直しと再発掘 構想
日本の食料自給率は、カロリーベースで、38%(平成28年「2016年」)、ちなみに1965年には73%となっていた。 福津市が平成20年3月に出したマスタープランの中で、平成17年度の第1次産業から第3次産業までの構造比率は前述の通りの割合で、目立つのが第一次産業であろう。 農漁業では、農家就業人口 共に減少傾向で、漁家戸数も減少しているとなっている。 しかしマスタープランの中では、それに対する何等の対策や計画もなく、10年経過した今日その結果も発表されていないが、衰退の一途をたどっている事は言うまでもない。 そこで、まちづくりに欠かせない食糧の自給を市民参画で、達成させられるモデルケースを完成させたい。そのためにも、指導者が必要である。 最近 国の大学設置政策として、学問的な色彩の濃い今までの大学ではなく、実務家の能力育成を目的とし、高度な実践力や豊かな創造力を培う専門家を生み育てていこうと大学設置の方向性に変化が見られる。本大学設置構想はまさに国の方向性とも合致している。 津屋崎は歴史をたどれば、塩田のまちとして繁栄し、今でもその名残として津屋崎千軒がある。当時の海は多くの海産物が獲れ、漁業も栄えていた。しかし今は福間、津屋崎、勝浦の漁港は宗像と合併し、それぞれの漁業者は数えるくらいに減ってしまった。 海も当時と比べ、生活排水で汚れ、多くの魚介類そして魚の産卵に欠かせない海藻類が減少し、漁業に多くの影響を与えてきた。又 津屋崎千軒に今も残っている藍染の染料の一部ともなっていた貴重な貝も絶滅状態である。歴史を重ねて海が重症を負ってきた。その海を福間から勝浦まで、昔にいやそれ以上に復活させ、おおくの魚介類を呼び戻し、新たな漁場を造り、養殖も含めた漁業を盛んにしたい。 地球温暖化により、日本を取り巻く漁場の変化、親潮や黒潮の流れの変化による漁場の変化や多くの一般魚が獲れなくなってきている実状がある。食糧危機に備え、漁業も獲る漁業から養殖する漁業を、早急に開拓していかなければならない。 福間から勝浦までの海を昔の海に戻すと同時に養殖場としても大きな要素を加えたい。 そして若者が敬遠するような漁業ではなく魅力ある漁業のプロトタイプを開拓し、実現へと結び付けたい。そのためにも地元小中学の学業の一環として漁業の体験学習を組み込ませたい。そして漁業と養殖技術を高度な地場産業として育てたい。 大学は当然その実践家の育成を行い、世界に発信出来るような人材を輩出させたい。 農畜産に関しては、勝浦、西郷地区に広い農地としての平野がある。 昔から農業地として農家が作物を栽培してきた。本まちづくりでは、5つの地域に分かれた自立型のコンパクトまちづくりを目指している。中でも農畜産場を持ち、小中学校を中心としたまちづくりを目指している。
まちづくりは、人づくりからの原点を考え、教育の一環の中で、食育としての農畜産に関する体験学習として小中学生や親や高齢者が加わっていく。 その関係者に対して生産の指導者としての育成を大学が行う。 又新たな農畜産の実験や試験場として勝浦地区が利用され、勝浦地区の発展につながる。 海洋牧場や勝浦地区の農畜産場は単なる食料の生産場だけではない。 海洋牧場を利用し、魚釣場・ダイビングスポット・自然水族館・海中観察遊覧船・海上気球観覧基地・養殖場見学体験場など又これらに関係する企業や新たな産業が生まれる。 津屋崎の干潟も新たな漁業の育成地として、そして渡り鳥の観察地として観光事業にも大きく影響を与える。又福間、津屋崎の海岸線の砂地が毎年削られている現況は、海洋牧場の開拓により、より豊かな砂地に変化する。 現在の福間港の海浜公園の魚釣場では魚が釣れない。それに対する対策がない。人々がよらない。 海洋牧場の出現により、釣れる魚釣場になることは必然で、釣り客の人気を上げることは間違いない。福間、津屋崎、勝浦の漁港は、状況に合せた港湾工事が行われ、5つの地域の魚の水揚げや配送基地としての役割も担い、各地域のスーパーに直結し、台所へと結ぶ。 海洋・農畜産大学が出来る事により、教職員やその家族、そして多くの学生たちが、津屋崎・勝浦地区に住むことになり、当然関連企業や若い起業家達の出現も考えられ、歴史ある津屋崎千軒のこれまでの状況は一変することだろう。 当然今までの観光地としての津屋崎千軒は、リピーターの確保も難しい状況だったが、変化をもたらし、大きなアクティビティを生み出す。そして学生のまちとして生まれ変わるだろう。
津屋崎には水産高校や九州大学農学部に属する九州大付属水産実験所が長期にわたり在校している。 今や漁業、農業共に衰退の一途をたどっている。官民が協力し合って一体となり、先人達が守ってきた漁業や農業を発展させることが何故出来なかったのだろうか不思議である。
この大学では、福津市の基幹産業として位置付けた農畜産・漁業の実践家そして指導者を育成し、世界に発信力を持つ福津市としたい。それは日本だけにとどまらず、世界中の人々を呼び寄せ、福津市が発展していく原動力になる。 2.自転車のまち福津
構想 ① 福津市に毎年500万人以上の観光客が訪れ、その80%が車で訪れる。 今後観光客をいかに増やすか対策を練る中で、当然車の数も増える事になる。 交通渋滞、事故率の低下そしてCO2削減の問題等観光のまちとしての魅力づくり対策の一つ ② 観光開発の一つとして自転車道をまちにめぐらし、観光スポットをゆっくり自転車で散策し、滞在時間を長くさせたり、宿泊につなげる。 ③ 災害(地震、津波)時の避難手段及び避難路として機能 ④ 子供達の学習手段に利用、又オリンピック選手を育成 オランダのグローニンゲンは自転車のまちとして有名である。1950年代 車社会の真只中で、まちは排ガスであふれ、広場は駐車場、道路は車であふれていた。 40年前 ファンデンベルク・マックス州知事が「まちはリビングルームへ」とのキャッチフレーズを掲げ、まちから車を一掃し、自転車のまちに変えた。 まちの自転車保有台数は 30万台、一家が2台以上の自転車を有するまちとなっている。 福津市は観光地として又福岡市、北九州市のベッドタウンとしてこれからも発展していかねばならないが、少子高齢化や人口減少に歯止めを掛けられない。 しかし福津市では、観光客は横ばいだが、ベッドタウンとして人口は増加している。 日本は観光国として、全国的に海外からの観光客が年々増えている。今や4,000万人 福津市の観光客はデーターによると、県内から90%以上、ほとんどが日帰りで、交通手段は車が90%近くを示している。本来なら列車を利用する観光客を多くする対策が必要。 今後は県外や海外からの観光客を呼び込むために魅力ある福津市にしなければ、ならないが、そのためにも増加傾向にある車をどう処理するか‥は大きな問題となる。 すでに福間、津屋崎間の国道495号線はシーズンは勿論の事、通常の通勤・帰宅時間帯は、渋滞が年々顕著にあらわれている。 観光地としての福津市の将来を考えた時、車の問題は解決しなければならない。 そこで一つの案として、この「自転車のまち福津」を提案した。 住民は当然協力はしなければならないが、観光客の車は中心拠点の福間駅周辺に大きな駐車場を確保し、そこから観光地への交通手段としてレンタサイクルで、アシスト車をそなえたい。当然大がかりなレンタサイクルの駐輪場そして観光ルートには、魅力ある休憩所、及び修理施設等設置が絶対条件である。 既に自転車のシェアリングや1~2人乗りの超小型モビリティ導入の自治体が表れている。もちろん障害者や高齢者は、車の利用を考えなければならないだろう。又 自転車道路は住民の生活道路と観光客用の道路の区別が必要な道路も考えられる。 福津市が抱えている西山断層帯の地震や津波に備えて避難路として大きくは勝浦地区と福間を通り、国道3号線を結ぶ幹線道路(35m)と勝浦地区を結ぶ県道勝浦宗像線がメイン道路として計画したい。又自転車道路も避難時の道路として計画したい。 勝浦地区は,福津市民の(都市計画マスタープランにて発表)多くのデーターによると、人気度が一番低い地域になっている。 そこで、オリンピックにも採用されている自転車競技の選手育成や、一般道では、体験できないアクロバティックな自転車競技場を建設したい。 勝浦地区と中心拠点である福間駅は一直線の幹線道路で結ばれる。 一方 5つの拠点で学校教育の一環に自転車のまちとしての心構えや将来オリンピック選手を育てるための学習を加えたい。 又 後述するが、移動教室で自分達のまちを知るための移動手段として、又 年齢に合せた学校と学校の(市内で)交流手段として自転車を利用させたい。 オゾン層破壊の要因となっているCO2の問題も考慮し、福津市の空気を汚さない事は市民や観光客に大きな影響を及ぼす。 観光道路として福間・津屋崎・勝浦に至る海岸線の自転車専用道路は、休憩所づくり等も含めて新たな観光コースとして大きな役割を果たすことになるだろう。 又 日帰りの観光客が90%をしめている現状を変え、宿泊客を増やすためにも、ゆっくり滞在して楽しめる戦略のひとつにもなる。 自転車はアシスト自転車やモビリティを加えた多数運搬用として、あるいはデザイン的にもまだまだ開発の余地がある。又その自転車の利用方法も多くの可能性がある。 自転車のデザイナー,マニヤックな自転車製作工場,修理工場,自転車販売店等,産業や雇用を生み出す可能性をもっている。 福津市が、前例のない自転車のまちとして、官民一体となって夢づくりに励みたいものである。そしてオランダのグローニンゲン市などと姉妹縁組をし、多くの交流実現したい。 3.学園を中心としたコンパクトまちづくり 構想 円形で示しているが、実状に合せ他変形化する。 戦後のまちづくりと言えば、大型団地開発に起因することが、多かったのではないか。 工業・産業の発展や、オリンピック、万博といった国を挙げての催しがある毎に、地方から若者が都市へ都市へと集まった。都市を取り巻く地域は大型の団地開発が進み、そこのまちの様相が一変した。戦後70年過ぎると、その団地の末路が表れ、社会問題を引き起こしてきた。しかし今だに団地開発は同じ形態で造り続けられている。 団地が出来ると、家を購入する層が若い人達で、年齢層もほぼ同年代になる。 学校もその団地に合せて小中学校が造られていく。 しばらくすると、一斉に出産時期を迎え、7年後小学校へ入学する。そして中学校、高校へ進み、又一斉に就職か大学へと子供達は巣立って行く。 しばらくして両親だけが残り、やがて一人が欠け、その後子供達が帰ることもなく空き家となる。団地内にあったスーパーや関連施設は住民が少なくなる毎に商売も成りたたなくなり、やがて閉鎖される。 全てが悪循環を繰り返し、やがて団地の過疎化へとつながってきた。
● まちづくりの基本とは何か 国づくりもまちづくりも人づくりから始まる。ここでは福津市を5つの地域に分け、学校を中心としたまちづくりの形態を それは生徒数を一定幅で決めると住民の人数が予想できる。 住民の人数がわかると、その住民が日常生活に必要な身近な医療を含めた生活必需品等予想され、その他必要なものが割り出せる。生活形態も予想できる。 そして別紙(図A)で示すようなゾーニングが可能となる。 このゾーニングが円滑に続く条件は、学校の人数が、安定していることにある。 住民の人数は変化するが、このまちに住みたいと思う環境や条件が全て揃っていなければならない。 それは、保育園・幼稚園・小中学校が住まいの身近にあり、待機児童問題がないこと。 保育費、学費が0であること、そして知育・食育・体育がいきとどいていること。又親の働く場が近くにあり、子供達と離れて暮らす状況がきわめて少ないこと。そして全ての面で安心、安全が配慮されていること。など他のまちにない環境が備わっていれば、若い人々がこのまちに集まって来るだろう。同時に出生率も上がる可能性がとても高くなる。 又住み続けると、高齢化する。当然国が抱えている高齢化社会に対する対応が問題となってくる。 しかし ここでは「ゆりかごから墓場まで」のまちの大勢づくりが出来上がる可能性が高い。又 ここでの特徴は、子供達が学業の一環として農畜産に小さい時から係わっていく事が組み込まれていることだろう。 そして住民も加わることにより、住民間のコミュニティも生まれる。農畜産に関しての指導は、海洋・農畜産大学で育成された指導者により、勝浦での実験、試験場での指導を受けたり、又学校に指導者を招き、地元で指導を受け、野菜果物・身近な畜産を学び生産していく。 アレルギー、アトピーなどの要因をなくす無農薬、有機栽培食品を生産する。 又 海の幸に関しては、福間・津屋崎・勝浦漁港から直送される。 これらは、学校給食、まちのスーパーに卸され、安価で消費される。 この学校を中心としたまちづくりの最大の特徴は、地産地消そしていつまでも学校を構成する児童や生徒数が安定していること。それは常に若い夫婦が住みたいと思える状況や条件を備えている事に起因している。
そしてこれまでの団地と違い、住宅地が限定的でなく、学校の人数を安定させられる住戸の敷地がフレキシブルな形で確保されている形態も、要因として挙げられる。次に学校づくりについて考えてみると、 戦後の学校づくりと、70年以上経た現在の学校づくりは、基本的に変化はない。 それは、文部科学省の基準や国土交通省の建築基準法の改正に依るものだが、しかし校舎の増減は出来ず、地方や団地の過疎化、そして少子化により学校閉鎖に追い込まれ、放置されたりしている。 そこでこのまちの学校の校舎は全てプレハブ化することを提案する。これはゆくゆくは全国に広げたいが、ここでは、モデルとしたい。住宅産業では、コストダウンを図るため、工場生産化を追求してきた。
今や人員削減の方策の一つにもなっている。IOT,AI社会への影響と共に、プレハブ化の技術は相当進化し、更なる変化が予想される。校舎及び他の施設とも固定化を絶対条件としない。 校舎のデザイン、耐震化、設備(電気,給排水,空調)や断熱化等全てが、工場生産化する。そして学校の児童,生徒数に応じて増減や校舎は平屋建てに限らず、数階建の校舎まで可能になる。但し学校の講堂、体育館が 地域の災害時に使われるが、大型のオーディトリアムについては、固定式と考えても良い。 地域毎に、プレハブ生産工場があり、ストック倉庫、修理工場等を点在させる事で、維持管理まで完備する。又 古くなった校舎や時代の流れによりデザイン変更時のためにも、リサイクル可能建材の構成となり、学校の校舎建設については大きなコストダウンにもつながる。
ここでの学園は官公庁の条件に合せたものでなく、もっと自然を取り入れた外向きで、世界への移動教室化も視野に入れた羽ばたける学園としたい。 教室の配置も固定的でなく、季節に合わせて広場に自由に移動可能にしたら、楽しい学園の形態が生まれ、いじめや自殺が何故今の学校で起こるのか‥それ等を解消する自然の中の学校として可能性があるのではないだろうか。
別紙(図A)で示しているように、本学校は中央に農畜産場、後方に緑地(森)広場等で囲み、それ守るようにその後方に住宅がゾーニングされている。
現代はあまりにも子供達が育っていく大切な時期に自然と対話する場がない事を大人達は忘れていないだろうか。ここでは自然の中で子供達を育むための緑地ゾーンがある。
子供達は、何故固定された学校や教室の中だけで教育されなければならないのか。
大人達は疑問に思わないのか。
ここでは移動教室を原則とした学校教育に対する提案をしてみたい。
年齢に合せて施設内だけでなく、屋外(緑地・森)や地元の歴史ある名所旧跡そして年齢に合せて他校へ移動教室し、そこの知識を身につけ、友人をつくることなど多くを学ぶ試みであり、教科書教育ではなく、体験から多くを学習する。他校と移動交換学習をする。そのためにも教科の中に移動教室として、自転車を小さい時からなじませる教育を組み込めたら、 中に移動教室として、自転車を小さい時からなじませる教育を組み込めたら、より楽しい学びにつながる。
わがまちを知るためにもその場所に行き、知る事が大切である。
移動することで、観光客との出会いも多くなり、コミュニケーションが生まれ、福津市のコマーシャルにも繋がるだろう。
福津市は観光のまちとして、5つの地域が主要道路と自転車道で、結ぶ提案をしている。
遊びでも、それぞれの地域の子供達が、自転車で交流する場面も増えて来るだろう。
勝浦地区にオリンピック選手輩出の、自転車競技場の建設を提案しているが、施設が出来ると、子供達が大いに利用することになり、県外や海外からの利用者や観光客との出会いも期待される。
移動教室は日本国にとどまらず海外へも飛び、海外の学校とも年齢に合せて交換留学学習へとつながり、やがて世界中に多くの友人を持ち、その国々の事を学び、大人になると国際的な場でも出会いがある。それが世界平和へとつながっていくと言う目的を持っている。私達はもっと自覚すべきではないだろうか。
国づくりは人づくりから、まちづくりも人づくりからと言いながら、誰もその方策を具体的に示した事がない。ここではその方策を示している。 別紙(図C)で5つの拠点を示している。拠点を結ぶ道路網の中でも何と言っても特徴的なのは、市の中央を走る南北の福間駅周辺と勝浦周辺地域を一直線で結ぶ(県道玄海・田島福間線と国道495号線を結ぶ)幹線道路であろう。 福津市の過去のデーターによると、勝浦地区は人口減少、農家の減少、交通の便が悪い、日常生活に支障をきたしている等、極端に良くない地域としてクローズアップされている。 そのため、中心拠点と最短距離で結び、観光道路として又新たな事業、産業道路として、勝浦地区の活性化に必要であり、そして西山断層帯が近くを走っているため地震・津波の避難路としても考えた。 又 福津市の中央を走る道路としてその両側歩道、自転車道路、そして街並みをドイツのロマンチック街道的なシンボリックな街路として観光化できないか等、盛り沢山の内容を持たせた幹線道路である。 もう一つの特徴として、宗像市を経由して東福間駅とつなぐ県道勝浦 宗像線である。 他市を経由するが、勝浦地区と東福間駅を結ぶことは、5つの地域の地産地消の海産物や農畜産物の運送路として又避難路、自転車道として利用され、勝浦地区の活性化に必要な道路として宗像市の了解を得て整備したい。 次に5つの地域のそれぞれについての特性を述べてみよう。
① 福間駅周辺(福間小、福間南小、福間中学校)を中心としたまちづくり この地域は、別紙(図Dア)で示している。学校を中心とした別紙(図A) 駅を中心とした別紙(図B)の合体したまちの形となり、福間漁港は(図A)のエリアに合体する。 福津市の官公庁施設が配置され、福津市役所が存在し、市の指令所としての役割を担う。 又福津市の玄関でもある。(図B)で示すまちの形は、駅の東側と西側が玄関としての位置づけを示している。 福津市は、ベッドタウンとして福間駅を1日に1万3,000人以上の市民が利用し、観光客が年間500万人以上訪れ、その1割の50万人が列車で訪れる。
1日では、1万4,000人となり、合計すると、2万7,000人が福間駅を利用する状況である。又500万人以上の観光客は、県内が約80%、県外が20%となっている。(福津市観光基本計画 平成22年3月)
そして福津市への訪問客の9割が自家用車を利用している。
これ等の現状データーは多くの課題を与えている。(図B)ではほとんどの駅で見られる表玄関、裏玄関的なものを払拭し、一体的に考えた形態を示している。
広場を中心に商業施設、公共施設、緑地、住宅地等をゾーニングしている。
図では、円形で示しているが、現地に合せると、多変形になる。
用途地域では、商業地域のエリアになるので、住宅ゾーンの住宅は中高層化され、人口密度を上げるゾーンとなっている。特徴的なのは、緑地ゾーンが示されていること。
高層化しても、自然と一体形にし、子供達の成長に大きく影響を与える試みがされている。この中心拠点での(図A)の形態では、福間小学校と福間中学校は福間南小学校とJRで東西に切られているため、まちづくりの中心にするには少し難があるかも知れない。
農畜産場の大きさや配置などと共に一体化するか、又は別々にコンパクトにするか検討の余地がありそうだ。 (図B)と(図A)は、住宅ゾーンで、合体する。
又地産地消を基本とする漁港との関係は、福間漁港が(図A)の商業ゾーンで合体する。
福間漁港は海洋牧場等で、得られた海産物を商業ゾーンに配達し、農産物と共に地産地消を実現する。消防学校や附近に空地があれば、福間海岸のキャンプ場、オートキャンプ場を実現したい。又海洋牧場への遊覧船や釣り場等に観光客を運搬する港でもあり、観光用自転車道と合わせてまちにアクティビティを発生させることにつながる。
② 東福間駅周辺(神興小学校 神興東小学校)を中心としたまちづくり
東福間周辺の人口は減少し、それに伴いスーパーマーケットや商業施設の撤退が進み、問題をかかえている地域である。JR福間駅がありながらそれすら生かされていない現状が何故起こっているのか考えるべきである。
それは旧団地計画で出来上がったまちで、どこでも時間がたてば起こり得る典型的な状況がうかがえる。 大型団地の末路が現れている。
東福間駅周辺は、福津市のベッドタウンとしての位置付は変わらない。
福津市の人口は福岡市の発展と共に増加傾向にある。 にもかかわらず、人口流出が起きている事に注目しなければならない。それは循環型の団地ではない所に起因する。 そこで(図A)で示したプロトタイプは、学校を中心とした農畜産地を持つ循環型のまちづくりを示している。ここでは(図Dイ)に示すように東福間駅を中央に置き、神興小学校と神興東小学校を中心としたまちづくりを駅の東西に分けて、駅前広場でそれぞれの商業施設ゾーンを合体させ、一体化する案である。
東福間駅は東西間を一体化し、商業施設が両者で自由に利用出来る形態を造ることが合体化の条件となる。学校そして農畜産場を中心にしたまちづくりで、海の幸が自由に配送される県道勝浦宗像線が東福間駅広場に通じている。
これは地産地消を基本にしている形態である。
又 中心拠点や勝浦地区に自転車道が開通すれば、子供達はもちろん住民活動にアクティビティが生まれる。
それが実現すれば、人が集まる、若い人々が来る、商売も成り立つ。 自立型、循環型のまちづくりとして見学者が訪れるまちとしたい。 ③ 西郷地区周辺(上西郷小学校、福間東中学校)を中心としたまちづくり 西郷地区も福津市のベッドタウンとしての役割が大きい。(図Dウ)参照
又 勝浦地区と同様に農畜産場が広くあり、生産と同時に将来の農畜産に関しての発展に繋がる場としても位置づけたい。 又 農畜産のプロを育てたい。
中心拠点である福間駅から西郷川沿線を自転車道路が完備されると、市民はもちろんのこと県内、県外からの観光客も訪れるだろう。
西郷川花園、ふれあい広場ふくま、なまずの郷(福津市総合運動公園)などの施設があることも裏付けとなろう。 農畜産物の生産と共に、福間漁港からの海産物が直送される道路として、主要地方道 飯塚 福間線の整備が望まれる。
地産地消の形が生まれ、(図A)のまちづくりが可能となる。
自立型循環型のまちとして見学者を招きたい。
津屋崎は、町村時代から合併前まで津屋崎の中心地として官公庁を有し、賑わいのあるまちであった。
しかし時代を重ね、福間との合併をせざるを得ず、福津市となったが、全盛期から衰退の一途をたどり現在に至っているが、福津市政は何等の手だてもなく旧態前の津屋崎を残している。
観光地としてのパンフレットや祭り時期の広報活動はされても、中身のない観光地ではリピーターなど期待出来ない状況である。
(b)海洋・農畜産大学を設置する。
(c)津屋崎千軒の活性化
(a) 漁業、農畜産業(造園、園芸等含む)について 注目したのは福津市の西側はすべて海(玄海灘)である。 そして津屋崎から勝浦までに農地平野がひろがっている。 5つのまちづくりに欠かせない食料の調達が容易で、地産地消が可能であること。 福津市の平成20年に出した農業・漁業・林業に於ける就業者の割合は5%となっていた。そして益々減少傾向にあると記してあるが、都市計画マスタープランの中には、これ等第一次産業を盛り立てる計画など何等示されていない。 現状は、漁業者 農家も減少し、後継者もなく、先行きが見通せない状況である。 津屋崎に住んでおられる長老が、昔話しをして下さったが、その中で海の汚染が進んでいった事。やはり一時
生活排水が原因で、海藻や砂浜 干潟が侵されて、気がついた時には、多くの生物が死滅して元にはかえらなくなったと嘆いておられた。 福間 津屋崎 勝浦の漁業者が年々減少してきた事は、単なる後継者不足からくるのではなく、全てはかつての漁獲量がなくなってきた事が影響している。 お互いに漁業を守るため宗像漁業組合が平成15年~平成26年までの間に、福間、神湊、大島、地島、津屋崎、鐘崎の漁協が合併し、発足してきた。資料によれば、 組合員は463名、淮組合員62名 合計525名、年間漁獲量は4,188t、 年間水揚高2,651.124千円で、県内では組合員数が第2位の漁協となっている。 福岡市と北九州市が大量消費地である。しかし資源の減少、海外漁場の消失、地球温暖化等に伴う漁場環境の変化などにより、最盛期の1/3まで減少しているとある。このような漁場の不安定さを養殖技術に移行してきている現状がある。 国内漁業生産量の減少は海面養殖に力を注いできたが、季節毎の温度維持が難しく、安定漁業に不安があり、最近では鳥取県の水産業者が、汲みあげ地下水でサケの陸上完全養殖に成功している。日本での陸上養殖での水揚高6,000tくらいと言われているが、この業者は一社で2,000tを目標にしている。それは海面養殖水揚高の2倍が可能となったとのこと。全てコンピューター、AI制御に成功しているからである。 このように養殖技術は、魚種によっても色々な可能性を持っている。 海洋牧場は場所を限定して釣場.ダイビングスポット.自然水族館.海上気球発着所. 遊覧船の回遊所など観光コース.スポットとして観光地の巾を広げたい。 当然 漁港は全て港湾事業の見直しが必要となろう。 又 5つの地域で小中学生の教科の中で、課外授業の一環の中で、漁場や漁業を見る、聞く、触る、などの体験学習をさせたい。農業に関しては、勝浦地区が支えている。農家不足が現況で、後継者がいない。 今回の5つのまちづくりの中で重要な農畜産場で、新しい農畜産業の開発を目指し、 新しい農畜産業については、地球温暖化に於ける天候不順などに影響受けない安定した生産技術の開発がここでみがかれる。又 造園家、園芸家のデザイン技術も同様であり、生産する農畜産業の開発に加え、見せる農畜産業も目指したい。 まちの緑化や住宅の庭を豊かにしたい。 ここでは、5つのまちにある農畜産場の技術的指導も行うので、児童.生徒.住民達もここを訪れる。観光客とのコミュニケーションの場にもなる。
(b) 海洋・農畜産大学設置について 津屋崎を基幹産業開発の場とするために、前述の通りであるが、そこでは先駆者・ 指導者として実践家が必要である。 ここでは研究者を養成するのではなく、実践家を養成する大学にしたい。 世界は人口爆発、そして近い将来食糧危機に陥る。 よそ事ではなく、身近な出来事としてとらえなければならない。 この大学教育はそれ等の準備を怠らない教育を身に付ける。 福津市で育まれる子供達は、小さい時から体験学習をし、大人になった時、世界中で活躍出来る人物になって欲しい。 海洋に関する大学は、北海道から南は沖縄まで多く存在するが、農学部の中の水産系の科が含まれている大学が多い。国の省庁の中で農水省としてそれぞれが独立した省庁となっていない。それくらい農業と漁業は強く結びついている。 津屋崎には県立水産高校があり、九州大付属水産実験所がある。 水産高校の目的はともかくとして国立大学の水産実験所がありながら、地元津屋崎の漁業に関して何か貢献してきたのだろうか。又衰退する漁業や漁民に対して何等かの貢献やアドバイスがあったのだろうか。 そして福津市はこの漁業や農業に関してアドバイスを求めなかったのだろうかと大きな疑問を持つ。 日本の各市町村は、生き残りを掛けて自立の道を模索している。その中で、大学を国や県から誘致してもらうことは生き残りに大きく影響する。 そのため多くの市町村が誘致の申請をしている。
津屋崎に九州大学の水産実験場がある事は、九州大学の分校的な大学として誘致申請時、説得力があるかも知れない。
(c) 津屋崎千軒の活性化について ここは古い歴史を有し、塩田のまちとして昭和初期までは、賑わいをみせていた。 千軒と名称されるように、その賑わいは大変なものだったろうと想像出来る。 しかし今は名所旧跡は残っているものの跡地が多く、その面影をしのばせるものの、そのまま放置されている。 そして現存している店(人形店)や造り酒屋にしても、先行が見えない状況である。 そのような中で、ここの火を消さないように「藍の家」「なごみ」の施設などで、ほそぼそとその日を過ごしているのが現状で、一度訪れた観光客がリピーターとして再度訪れる可能性は少ない。何故福津市として何年にも渡って根元的な対策をしてこなかったのだろうと不思議に思う。 そこで海洋・農畜産大学が開校すれば、そして基幹産業として漁業農畜産業が新たな展開を見せれば、学生、それにともなう教職員そして家族などが一斉に増える。 又 関連企業が生まれる。それらに合せてスーパーをはじめとする店舗や商業施設が必要となってくる。 千軒のまちは大きく生まれ変わることは、当然のことであろう。 学生のまちとしても位置付けられ、昔の津屋崎千軒の賑わいが戻ってくる。 海洋牧場や新たな農畜産場は千軒の名所旧跡見学だけではない新たな観光客を呼び寄せるだろう。外国人も訪れ、様相が一変するかも知れない。そうなって欲しいと願うばかりである。 津屋崎小学校、津屋崎中学校を中心とするまちづくりは、(図A)で示す形態が可能ではないだろうか。外輪の商業施設ゾーンの所で、大学・高校・津屋崎漁港は合体し、津屋崎千軒は、商業施設ゾーンの中に組み込まれる。又 津屋崎庁舎・商工観光課・カメリアホールも商業施設ゾーンの中に入る。(図Dエ) 現状に合せ、又 将来を見据えた形態をつくりたい。
⑤ 勝浦周辺(勝浦小学校、海洋・農畜産大学の分校)を中心としたまちづくり 勝浦地区は古墳群が多い。そして宗像大社と共に世界遺産の認定を受けた。 そしてあんずの里運動公園として県内が大半ではあるが、観光客が訪れている。 又 農場としての広い平野が広がっている。 しかしここは人口流出が、福津市では一番多く、又農家が衰退の一途をたどり、商店街もなく、交通の便も悪いとの事で、住みにくい地域のワーストワンになっている。 そこでこの地域を活性化させるために下記の提案をしたい。(図Dオ)
参照 (a) 福津市の農畜産場として開発 海洋農畜産大学分校設置について 勝浦地区は福津市の中でも中心拠点から一番遠く、疲弊した地域と位置づけられている。 福津市の5つの地域の農畜産場で生産する生産物以外のものを受け持つ場でもある。 農畜産に関しては、天候に左右されない新たな農畜産業の開発(ハウス栽培、工場生産等)を行い、安定供給を目指す。 又 勝浦漁港から魚介類の調達そして東福間駅周辺地域に運搬する発進地ともなる。 大学の分校は、試験及び実験場として学生達が利用したり、造園・園芸家を育成する場でもある。 見せる農畜産場として開発し、新しい観光地そして観光コースとしたい。 小中学生は、校内中央の農畜産場と校外の大農畜産場で体験学習が出来る。 又 勝浦漁港での漁業についての体験学習と合わせて受けられる。農畜産場では、プロとしての育成がはかられる。 これは西郷地域の農畜産場と同様である。
(b)自転車競技場の建設について 福津市を自転車のまちにしたい。 小中学生の学習項目に加えたい。そして現在自転車はオリンピック競技の中に多種がある。福津市からオリンピック選手を輩出する可能性もある。 又競技場ではアクロバティックな競技施設も併用されているので、子供達が自由にこの施設で遊ぶ場所として提供出来たらと考える。 競技場は地元にとどまらず、県内や県外からも訪れる人が多くなると予想される。 それに伴い、喫茶・レストラン・休憩所など農畜産場を訪れる観光客と共に施設が必要になる。又道路として福間駅と結ぶ幹線道路と勝浦宗像線(県道)を整備し、東福間駅とも結ぶので、両者の駅や 国道3号線から人々が訪れる。 両道路共、専用自転車道でも結ばれている。 疲弊している勝浦地域の活性化につながり、人口も増える。 ちなみに自転車レースとして ・トラックレース ・ロードレース ・マウンテンバイク ・BMXがある。 |